chofchof's blog

神戸在住の社会人四年目。趣味と実益を探し求める日々。

わたしのなつやすみ

早いもので今日は8月31日だ。
来月に入ってもまだまだ暑い日が続くのだろうけれど、「夏」としての季節は今日で一区切りつけることになるんだろう。
きっと、幼いころの夏休みが終わってしまう記憶や、雨上がりの空気がすっと冷たくなっていること、ついこの間まで明るかった帰り道が暗くなっていることへの気付きが、この時期特有の、切なさや焦りを引き出しているんだろうと思う。

余談だが、私はそんな夏の終わりの整理のつかない感情を「夏の亡霊が暴れだす前に」と表現したスガシカオを天才だと思う。


そんな夏の終わりの今日は、私の思い出に残っている「わたしのなつやすみ」の話をしよう。



私は家は音楽関係の自営業だ。
祖父母も4人そろって同じ市内に住んでいたので、お父さんが仕事を休める「お盆」に「田舎」に帰る、ということはなじみがなかった。
だから夏休みは私と兄と両親の、家族みんなのものだった。
父は今ほど仕事に追われておらず、毎日家で仕事をしつつも、比較的のんびりテレビを見たり読書をしたり、ゆったりと過ごしていた。
母も家でピアノや歌を教えたりしていたものの、毎日の夏休みを何をして遊ぼうか、悩んでとても楽しかったらしい。

両親が朝から会社に出ることもないうえ、学校のすぐ隣に住んでいた私たちは、普段から結構お寝坊な家庭だった。
夏休みは学校で早朝に行われるラジオ体操に出なくてはならず、この時期が一番早起きだった。
6時半ごろから始めるため、兄となんとか布団を抜け出して通ったような気がするが、よく考えると、あれは7時半くらいだったのかもしれない。
ともかく、健康的に新しい朝を始めた私たちは、一目散に家に帰り、まだ寝ている父の隣で再び朝の眠りにつくのだったが。

母はよく、私を連れて図書館へ行った。
夏休み前に学校で借りることができる8冊はすぐに読み終えてしまい、自転車で少し離れた大きめの市立だか県立だかの図書館まで行くこともあった。
その図書館は川のとなりにあり、暑い中自転車をこいでやっとたどり着いた私たちは、居心地がよく静かなそこでゆっくり本を選んだり、雑誌を読んだりして過ごした。
3年くらい前だったか、あの村上春樹も自転車で同じ図書館に通ったと知ったときは、おなかの底が熱くなった。

出不精の父が唯一一緒に行ったのは、臨海公園にあるプールだ。
家族四人で、もしくは友達を誘って車で出かけた。
特に大きいわけでも、設備が充実していたわけでもなかったが、スライダーは無料で何度もできたし、温水のジャグジーもあった。今考えると、地方のプールというのは混み具合も含めコスパがいい。
私は水泳教室に通ったわけでもないが、泳ぐのが好きで、比較的得意だったから、ひたすら泳ぎ回っているだけで満足だった。
時々、プールの中で鬼ごっこもした。
おなかがすくと、プールサイドのレストランで水着のまま休憩をした。
私はいつもミートソーススパゲッティを昼ご飯に注文した。
そのメニューがことさら好きだったわけではないし、ほかのものでもよかったのだが、なぜか私=ミートソーススパゲッティ という構図が出来上がり、それ以外を頼みにくかったこともある。
それでもいつもパスタは伸びていなかったし、ミートソースはトマトの甘酸っぱさが、体に染み渡るのを感じた。
時々無性に食べたくなる、スーパーで一番安く売っている、レトルトの味だった。

飽きることなく一日中遊んでぐったりしたあとは、帰り道にケンタッキーのドライブスルーに寄るのが楽しみだった。
独特のいいにおいがする大きな箱を大事に抱え、何度も車の中でそっと箱を開けて中を確かめては再び閉めることを繰り返していた。
周りの人たちは、そんな私に半ばあきれながら、ほほえましくも思っていてくれていれば、嬉しい。

家ではクーラーをしっかりきかせた部屋で、みんなで並んで本を読み、眠たくなったら寝る、そんな幸せな生活だった。
お風呂に入る前に寝室に布団を敷き、部屋を閉め切ってクーラーをガンガンにかけておく。
そしてお風呂上りのほてった体のまま、冷え切った部屋に入る。(ここだけの話、私はその部屋を「幸せのくに」と呼んでいた。)
それは夏休みにだけ許されていたことであり、自由な夏の象徴だった。


兄が中学校に入り、部活動や塾で忙しくなるとともに、私たち家族の夏休みは形を変えていった。
私が家族や兄の友達とではなく、女の子同士でおしゃべりをしたりして過ごすようになり、犬を飼い始めると家族の時間は茶色いふわふわの新しいきょうだいを中心に回りだした。
その後の夏はそれはそれで楽しかったし、もっと多くのことを思い出すことができる。
ただ、私が夏休みと聞いて思い浮かべるのは、夏祭りでも花火でも部活動でもなく、冷え切った部屋の空調の音やプールの後の倦怠感なのだ。


マンションの前でがなり立てるように鳴くクマゼミの迫力は、私と兄が家を離れた今も変わらない。
最近は、わたしたちみたいに蝉取りをしている子供をみかけなくなったから、セミの数が増えたのだろうか、とさえ思う。



夏が終わる。
やり残したことは今年もたくさんある。だけど夏は終わる。
明日も神戸は暑くなるんだろう。雲だけが薄く伸びて、秋を感じさせるのだろう。