chofchof's blog

神戸在住の社会人四年目。趣味と実益を探し求める日々。

読書は娯楽でありたい。


違和感と子供の頃の読書の話


「本読んで偉いわねえ」「沢山本読むから、(うちの子より)賢いのねえ」
という言葉を、私は友達のお母さんたちから小さい頃幾度となく言われて育った。
その度に、自分の趣味が肯定される喜びと、褒められる違和感を感じていた。

読書 というと、インテリな印象というか、優等生的なキャラクターに属する要素であるかのように思われがちだ。
世間一般では、漫画より本は地位の高いものかのように扱われる。たとえ内容が何であっても、だ。

歴史マンガよりSF小説
『ワンピース』より『ハリーポッター

だけど小説を読んでも、別に生き方の教訓になるようなことはないし、物によってはとてもじゃないが賢くなれそうにない、ということもある。

私はマンガはあまり読まない。
だから、1ページを分けているセルみたいなコマの順番を間違って読むことがあって、そんな時は少しフラストレーションがたまる。だから読まない。
それから、これが本当の理由だが、家族に漫画を読む人がいなかったので習慣として漫画を読む機会がなかった。どんな漫画が面白いのか知らないから、なにを読んでいいのかわからない。

小説はどうかというと、これは環境が整っていた。
母は毎晩本を読み聞かせしてくれたし、私が寝た後こっそり電気をつけて本を読んでいた。
一緒に少し遠くの大きな図書館まで行くのが、夏休みの楽しみだった。
父も仕事の関係もあり、布団の周りに本が積み上がっていた。最近はAmazonから3日に一度は大きな重たいダンボールが届く。

私が本を読むようになったのは、間違いなくそれが一番簡単に手に入る娯楽だったからだ。


少しだけ大人になった今の読書の話

今、曲がりなりにも働くようになり、私の読書量は随分減った。
文学部だった大学時代と比べて、周りの大人たちと本の話をすることはなくなった。
先日、上司から部署内で回し読みをするようにと、教訓めいた本を何冊か渡された。

私は今まで、小説しか読んでこなかった。本は人生に役立てたり何かを学ぶために読むものではなかった。
娯楽であり、勉強をしないための言い訳であり、夜更かしの悪友であり、学校の机の中の一番広い範囲を陣取る奴であり、夢を見させてくれる悪い魔女である。
(『はてしない物語』のバスチアン・バルタザール・ブックスの気持ちがものすごくよく分かって嬉しかった。一冊の本が終わりかけると、早く先を読みたい気持ちと、物語が終わってしまうのが怖くて読みたくない気持ちに揺れる。登場人物たちは去ってしまい、本を閉じると彼らのいない現実に取り残され、悲しい思いを何度してきたことか。)

だから、仕事術みたいな本を手渡された時、楽しいだけの私の読書が侵されるような、聖域を踏みにじられるような気がして少し悲しかった。
だけど上司命令だから、読まないといけない。こうして大人になっていくんだ。

今、啓発本とかビジネス書に少しだけ触れるようになり、また更に小説がどれだけ素敵なものか実感している。
小説じゃなくてもいい。
漫画でも、ドラマでも、アニメでも、映画でも、誰かが考えた おはなし に触れることは、最高の娯楽だ。
それが人間の成長に良く影響するか、悪く影響するかは、たまたま後から得られるオマケくじみたいなものだ。


それから、
あのお母さん達、子供を賢くするためなら漠然と「本」なんて読ませない方がいいとおもうんだけど。

あのお母さん達、本なんてほんとはちっとも読んだことないんじゃないかな。


http://www.welluneednt.com/entry/2015/02/23/113400

↑これに触発されて書きました。